アーマンド・セラは16 歳の時から週末のダンスホールでの演奏や、自身の最初のハードロックバンド「MAD BRAIN」で活動していたプロフェッショナルなギタープレイヤーだった。その頃、アーマンドは南フランスの街カストルのジャン・ジョレス高校に通っていたが、音楽だけでなく授業中もコミックスタイルの絵を描くこともに熱中していた。

そんなある日、英国の音楽紙MELODY MAKER に掲載されていた” ギタリスト募集!” の広告を目にしたアーマンドは渡英を決意、彼の地の小さなジュエリーシップでパートタイムの仕事に就いたのが1982 年のことである。


ジュエリー関する専門知識など何もなかったが、アーマンドは自身の絵描きの才能に音楽への情熱を掛け合わせ、後に“芸術的でロックなジュエリー” と呼ばれる作品の無限の可能性に気付いた。

1986 年頃からアーマンドの作品は雑誌などの媒体で紹介されるようになっていた。音楽誌Sounds に「Armand the Frog」のタイトルで掲載された記事を皮切りに1989 年にはヘヴィメタル誌Kerrang、そして1991 年にはMTV の「HeadbangersBall」にてロック界のジュエリーデザイナーとして紹介された。その頃には、その後長年にわたり多くの顧客に愛されることになる人気作を100 種類以上生み出していた。同時期にアーマンドはヴァン・ヘイレンスタイルのロックバンド PANAMA でギターをプレイした。当時アーマンドはジャクソン社と契約を結び、様々なイベントで同社のギターでデモンストレーションを披露した。

そしてアーマンド・セラは新たな挑戦を決意をする。1992 年3 月、アーマンドとガールフレンドのジャネット・オースティンはロンドン中心部のコヴェントガーデンに自身の店CRAZYPIG DESIGNS(クレイジーピッグ)をオープンした。あらゆる制約から解放されたアーマンドの創造性とアイディアは無限の広がりをみせている。


現在、クレイジーピッグが発表してきた独創的なオリジナルのデザイン数は1200を超える。


2001 年からはセラ夫人となったジャネットがデザインやアイディアに新たなインスピレーションをもたらし、クレイジーピッグのコレクションに柔和で女性的、そしてエレガントな要素を融合させている。

全ての作品はクレイジーピッグの工房内で手作業にて製作されている。デザイン、原型の作成、シルバー、ゴールド、プラチナの鋳造、研磨、ダイヤモンドやルビー、エメラルドの石留めなど全ての製造工程が熟練職人の手作業により行われている。今後もCAD や3Dプリンタを用いた現代的で効率を最優先した手法を用いることはないだろう。


このような妥協なき姿勢で生み出されたクレイジーピッグのジュエリーを映画やTV ドラマ、コンサートのステージ、雑誌などでセレブリティ達が着用しているのを目にする機会は少なくないはずである。


アーマンド・セラの今後の音楽面の活動も見逃せない。これまでに2 枚のソロアルバムをリリースし、2015 年には自身が所有する世界的にも貴重なヴィンテージギターのコレクションを収録した究極のギターブック「GUITAR EXP」を出版した。この本の序文はビリー・ギボンズとリック・ニールセンが寄稿した。そして、大物ミュージシャンも参加する新バンドMUDHOGの2 枚組アルバムのリリースも控えている。


2017 年には1992年の創業以来の多くの要望に応え、東京にフラッグシップストアをオープンした。


Welcome to the CRAZY PIG DESIGNS Experience!